1980〜1999

「抱擁」  M50
個展などに出品する機会がなかったので、タイトルもつけていなかったし、今になると制作年もはっきりしない。
絵の表情からして、妻の制止を振り切り、妻子との別居を始めて間もない頃だから、1977年以降の早い時期と思える。
当時の心情がよく出ていて、好きな絵だ。
オレの偏向(へそまがり)の表れといえる。


「壁際」
F6  1982
個展
美術ジャーナル画廊

「因陀羅網」
F15  1995
個展
ギャラリーゼピア

この「インダラモウ」というタイトルの意味は、宇宙の全存在が互いに関連しつつ存在することにたとえる。
「逢魔が時」
F8  1995
個展
ギャラリーゼピア

「オウマガトキ」というタイトルの意味は禍の起こる時刻、又は夕方の薄暗い時をいう。
「内在(閉ざす)」F4  1998
個展
ギャラリー銀座汲美

この時に展示した15点全部の絵に「内在」というタイトルをつけた。この頃、内在とか内含とか内貌とか、心の中の自分を表現しようと悶々としていた。今もその悶々は変わらない。




<裏返された光 ― 渡邊 博の抽象絵画>                  大倉 宏 (美術評論家)
 渡邊博は長い間、東京都新宿区にある、敗戦直後に建ったという古い木造アパートの一室と、千葉県の南端に近い富浦町の谷あいの農村地帯にある自宅の二つの仕事場を毎週往復し、主に前者で絵を 描いてきた。
 数年前、東京の、絵ではない仕事をやめ、仕事場を後者に移した。それからの絵の変化に私は目をみはる。言い方が妙に響くかもしれないけれど、他人事とは思えないほど、心を引かれる。

 渡邊の絵を始めて見たのは、十年近く前。以後何年かおきに見る機会を得た仕事に、闇の感覚を呼吸する画面をいつも感じてきた。今日、重く暗い絵は多い。でも渡邊の闇はそれらのように暗くはない。む しろ底では不思議な明るさに接するほどの奥深さと、気配や匂いが静かな風の力で漂うような、軽やかさがある。
 新宿の仕事場には、壁側に寄せられた大量の絵と拮抗するほどの雑多のものがあった。一度訪ねた私の目には、吊り下げられた何体もの人形の姿が印象的で、傀儡師の楽屋かと見紛われた。事実それらは、鏡台、花瓶、古布、経文などとともに、渡邊の絵という闇の舞台の、寡黙な登場人物でもあった。 彼らの姿が、前面へせりだしてきた背景に埋没し、見分けがたくなってきたのが近年の明らかな変化だ 。言い換えれば、画面がほとんど抽象絵画の様を呈してきた。
 日本の抽象絵画(もっと大きく言えば近代の油絵)は海外(とくに欧米)のそれに、いつも対応物を持ってきた。そのような在り方に、私たちは慣れっこになっている。渡邊の抽象はそのような対応物に欠けている。と同時に近世の絵に通底する気配をも、思いがけずそこに、私は感じる。
 近世の絵 ―例えば蕪村や応挙― は具体的な世界を描写ではなく、呼吸している。呼吸を通じて、絵紙が接していた空間、その肌ざわりを感じさせる。一方、自己表現という近代の空間は、具体的な世界から隔てられた密室として姿をあらわすことで、この触感を希薄にしたように見える。「緑の太陽」で人格が無限の権威を持つ絶対の自由を「芸術界」に求めた高村光太郎は、「日本の地方色」を、日本人の絵に「腐れ縁」としてまつわりついてくるものと認めつつ、意識から限りなく遠ざけることを願った。日本人が日本人(ただの人)として生きる具体的な空間は、そのような「芸術界」の光によって絵画の外部の、濃い影に封じられた。
 渡邊の初期の風景画には、1930年協会風の再来のような、激しさと重さが充満している。それは、自己という明るい部屋から眺めた、影の光景だろう。以後、現在の抽象にいたる渡邊の絵が、試行錯誤のなかで、一貫してつとめてきたことは、明るい部屋の照度を上げることではなく、逆に落としていこうとすることだったと見える。以前の仕事場に堆積した小暗く、旧い日本につながるようなモチーフの品々は、そのような努力の糸口として呼び集められたものたちだったろう。
 私は以前、渡邊の絵によく描かれた瞑目する人形や少女の顔を「闇に目をひらいていこうとする顔」と 書いた。近年の制作では、絵がその目の内部に入りこむことで、糸口としての具象的イメージが消える。「抽象」が、渡邊の絵において、そのようにして、現れる。明るい部屋からは、重く暗いかたまりとしか映らなかったものが、奥深い、広やかな空間であることが見えてくる。照度が十分に落とされ、部屋の中と外が同じ水位につながると、闇はもう闇ではない。近年の渡邊の画面に横溢する、あいまいで、やわらかで、生き生きとした線、色、画肌が感じさせる不思議ななつかしさ、解放感。それは近代の光によって影に追いやられ、息を殺してきたものが、油絵という近代の空間に逆流し、深い呼吸をはじめたことの触感な追いやられ、息を殺してきたものが、油絵という近代の空間に逆流し、深い呼吸をはじめたことの触感なのだ。

 渡邊の絵に通底する「闇」は、失われてはいないのに見えなくなったものを照らし出そうとする、裏返された光だった。回復されたもの、それは渡邊が、そして私が生きる、この具体的な世界との交感だ。その画面が欧米の対応物でなく、近世の絵を想起させる。
 私たちは時に、私たちの生きる空間は、もう欧米のそれに近いと錯覚する。けれどそれよりもはるかに深く、応挙や蕪村の絵の接していた空間に、実際には接続しているのだ。歴史の劇的な変転によってさえ容易には変わらない。そのような地方色の世界に、私たちはいる。そのことを渡邊の絵は、「緑の太陽」の筆者とはまったく反対の口調で、語っているのである。                                                        
                                                          (1998年)





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